総湯及び周辺整備事業 〜オンリーワンの温泉地を目指して〜
山代温泉 湯の曲輪の再生
◆山代温泉の歴史
・山代温泉は、その古い歴史の中で、「総湯(そうゆ)」と呼ばれる共同浴場を囲み旅館が建ち並ぶ「湯の曲輪(ゆのがわ)」という町並みが形成され、明治から昭和初期にかけて湯治客や周辺住民がたくさん集い大変な賑わいを見せていました。
・「湯の曲輪」の旅館には、北大路路山人、与謝野鉄幹・晶子などをはじめ、多くの文人墨客が訪れるなど、独自の文化を育んできました。
・「湯の曲輪」の街並みは、万松園の緑を借景に、趣きある建物が建ち並び温泉情緒溢れる賑わい広場でした。
| ○温泉文化の象徴「総湯(そうゆ)」 |
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| ○温泉情緒溢れる「湯の曲輪(ゆのがわ)」 |
◆現在の山代温泉
・多くの旅館が「湯の曲輪」から離れ、大型化した旅館が郊外に建ち並び、温泉街は年々廃れています。
・観光客の温泉地に対するニーズは“宿”から“街”へと変化する中、山代温泉は旅館の満足度は高いものの温泉街の満足度は低く、人気温泉地に見られるようなたくさんの観光客がそぞろ歩くことはありません。
・本来、温泉文化の象徴であるべき「総湯」は老朽化し、観光客にとって魅力が感じられるものでなく、利用する観光客はほとんどいません。
| 観光客にとって 魅力の低い温泉地 |
⇒ | 観光客数の大幅減 年間185万人(S61)⇒90万人(H19) |
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| ・主産業である観光産業の衰退は、地域経済に大きな影響を及ぼしています。 ・また、税収面など、市の財政状況にも大きな影響を及ぼしています。 ・さらには、地域の就労状況の悪化により、アパートの空室や空き家が増加するなど、地域活力の減退が著しい状況にあります。 |
〜山代温泉の再生のために〜
未来への想像
山代温泉の歴史をひも解くとともに、現状の問題点を踏まえ、将来の山代温泉がどうあるべきかを想像することが大切です。
選択と集中
市の厳しい財政状況の中、「選択と集中」により事業を進め、また、事業に対しては国の補助や有利な融資などを受け、市の財政負担を極力抑えています。
住民の理解と協力
市が施設や街並みを整備するだけでは、街は再生できません。
賑わい溢れる魅力ある温泉地へと再生するためには、地域住民の理解と協力が不可欠です。
また、山代温泉の再生は、山代温泉のためだけのものではありません。
そのことを市民の皆さんに理解していただくため、これまでに何十回と集会や説明会を開催してきました。
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山代温泉総湯及び周辺整備事業 |
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○新しい「総湯」OPEN !! (H21年8月2日)
老舗旅館の跡地に建ち、外観はその趣きを残す落ち着いた佇まいです。
浴槽のお湯を毎日入れ替え、加水をしないので、新鮮で良質な温泉を 衛生的に利用していただけます。
また 温泉の余熱や廃熱などの熱エネルギーを有効活用することで CO2排出の削減に努めています。
浴室壁面には、地元九谷焼作家の作品がズラリと並び、目を和ませてくれます。
大きな窓からは、中庭や薬王院温泉寺の緑が楽しめます。
○温泉文化の象徴となる明治時代の「総湯(復元湯)」を整備
「総湯」とは、銭湯やスーパー銭湯とは異なり、単に体の汚れを流すためだけでなく、その温泉が育んできた歴史や文化を感じながら、心を癒し身体を健康にするものでなければなりません。
これまでの山代温泉の歴史の中で、最も象徴的な総湯建物を検証し、賑わいがあり温泉情緒が感じられる明治時代の総湯を復元整備することとしました。
この総湯は、山代温泉1300年の歴史を後世に継承し、今後、山代温泉の象徴となる建物となります。
この総湯は、温泉情緒溢れる「湯の曲輪」の再生とあわせて整備することで、日本一といわれる「道後温泉本館」にも負けないようなものになると期待されています。
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将来は 国宝級の財産に! |
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○温泉情緒溢れる「湯の曲輪(ゆのがわ)」の再生
湯の曲輪の形態や昔日の街並みは、日本の温泉地の原風景そのものです。
また、多くの文人墨客が訪れる等、古い歴史の中で独自の文化を育んできました。
この湯の曲輪を再生することが、日本で唯一にして最高の温泉街を再生することになります。
○総湯・湯の曲輪の駐車場
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○泉質の特徴を活かした新しい商品づくり
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○総湯及び周辺整備事業 事業費・財源
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○今後のスケジュール
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