加賀市 北前船関連文書デジタルライブラリー

加賀市北前船関連文書デジタルライブラリーについて

このHPでは加賀市の北前船関連の文書を所蔵していた家ごとに公開しています。
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TOPICS

久保彦兵衛家文書

 橋立で第一の北前船主である久保彦兵衛邸の主屋部分(玄関土間、オエとその後ろ4室)が昭和16年に現在の能美市の個人宅に移築された後、加賀市が買戻し現在は加賀市熊坂町に再移築され「蘇梁館(そりょうかん)」として活用されているが、それ以外の部分が金沢の野村家武家屋敷跡として公開されている。
 本文書は橋立から金沢に移築される以前に一時所有していた個人が保管していた襖の下張り文書である。平成26年、個人より加賀市に寄贈されたものである。

 橋立にあった久保彦兵衛邸の建築年代は天保11年とされている。
 一群の文書には享保年間のものがあり、一番の興隆期であった六代彦兵衛(天保11~大正4・1840~1915)より約100年はさかのぼる時期の文書である。
 文書にある「小餅屋(こもちや)」について。久保家は小餅屋孫兵衛から発しているため、初期の文書には小餅屋と記されている。久保を名乗るのは5代彦兵衛から(=久保家初代)天保9年以降である。

文書リスト

増田家文書

現在資料調査・整理中

酒谷家文書

  現在「加賀市北前船の里資料館」として公開している旧酒谷長兵衛家住宅(加賀市指定有形文化財・平成30年現在)を所有していた酒谷本家で所蔵されていた文書である。
酒谷家について
正徳元年本家田中伊兵衛より別家したのが始まり。
初代七郎右衛門は宝暦8年没。3代長吉のとき、酒谷新左衛門の船頭として一生を勤められたことを感謝し、酒谷を本家として名字を替える。
4代七郎右衛門(享和3年没)のときから、廻船業を始める。持船は、幸徳丸・幸松丸。
5代長兵衛(天保10年没)の持船は、幸徳丸・幸長丸。
6代長兵衛(慶応4年没)は、持船を幸徳丸・幸長丸・幸貴丸・小福丸の4艘に増やし、大聖寺藩へ献金を重ね、十村格と屋敷を拝領する。
7代長兵衛も、明治初年、大聖寺藩に多額の献金を行い、士族格・扶持を拝領する。同4年に長吉と改名する。
明治期の酒谷家の経営は、明治10年代まで廻船業が盛んであったが、同20年代以降減益に転じ、30年代には赤字となっている。明治45年には金銭貸付業が主な生業である。
酒谷家文書の点数は9,985点。最も数が多いのは、売買関係の仕切書である。
【参考史料】明治3年「記録」元治元年「御上様上納控帳」

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