12.大聖寺藩前田家ゆかりの能面と能装束について

更新日:2025年01月16日

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《安宅》弁慶役の前田利鬯が着た白地紋尽厚板

  十数年前のある日のこと。かつて加賀市にあった歴史民俗資料館を見に行ったところ、大聖寺藩最後の藩主「前田利鬯(としか)」を説明した写真パネルに、目が留まった【写真1】。《安宅(あたか)》シテ出立(いでたち)の利鬯だが、(しま)(すき)素襖(すおう)の下に着ている厚板(あついた)は、今、石川県立美術館にある能装束と同じではないか。

 

【写真1】前田 利鬯(大聖寺藩14代藩主)
   出      典:旧加賀市歴史民俗資料館 展示パネル

前田利鬯

                 
             

 

【写真2】白地紋尽厚板
   所      蔵:石川県立美術館

            白地紋尽厚板        

 

  白地に大きく黒の四ツ目、緑の、赤の(から)(はな)模様(もよう)散らした《白地紋尽(しろじもんづくし厚板(あついた)》【写真2】で、まちがいない。「このように、使われていたのか」と知ることができ、「利鬯について調べなくては」と思うようになった。

 

大聖寺藩前田家ゆかりの能面と能装束について

  明治維新後に能の復興に尽力した前田斉泰(加賀藩13代)亡きあと、その遺志を嗣いだのが、斉泰七男の利鬯であった。
  明治後期、利鬯、つまり前田子爵家はかなりの能面と能装束を所有していたようである。その一旦をうかがい知ることができたのが、令和5年11月下旬から東京国立博物館14室で開催された「大聖寺藩(石川県)前田家伝来の能面」で、かつて北三井家から入手したという旧鐘紡(かねぼう)コレクションから、能面23面が公開された。(北三井家はいわゆる三井財閥の(そう)領家(りょうけ)で、10代当主三井高棟(たかみね)の妻は、富山藩主前田利聲(としかた)の娘(もと)()。なお利聲の後を嗣いだ(とし)(あつ)は、利鬯の弟である) 

  うち《節木増(ふしきぞう
)
》【写真3】は、宝生流を代表する女性面である。鼻の付け根に偶然できたしみが、かえって女性の艶やかさとなり、「節木」と名付けられた。裏面には「宝生大夫/良重(花押)」の金泥銘と、本面の写しと記されている【写真4】。本面とは、宝生家でもっとも重宝される面をいい、古くからこの本面に基づく写しの面が多くつくられた。《節木増》の本面も宝生家 にある。
銘にある良重は、五代将軍徳川綱吉が贔屓(ひいき)とした九世宝生(ほうしょう)(とも)(はる)のことで、加賀藩前田家はその二男吉之助にはじまる宝生(ほうしょう)嘉内家(かないけ)を召し抱えている。
  一方、宝生宗家には大聖寺藩旧蔵と伝わる、同じような《節木増》が所蔵されており、こちらにも本面の写しという金泥が入る。

 

 

節木増(大聖寺藩旧蔵)
所      蔵:国(文化庁保管) 
画像提供:東京国立博物館    Image: TNM Image Archives

【写真3】

                 節木増 表
  

 【写真4】

                節木増(裏)

 

 

  加賀市大聖寺にある江沼神社には、大聖寺藩伝来とされる能面と能装束が所蔵されている。中でも「流れ着いた」とも「つけると雨が降る」との伝承を持つ《父尉(ちちのじょう)》【写真5】は、室町時代の頃につくられたと考えるにふさわしい、古い味わいがある。

 

【写真5】父尉   
  所       蔵:江沼神社
   画像提供:国立能楽堂

                 父尉
                                                                               

 

  白地亀甲花丸散模様縫(しろじきっこうはなまるちらしもようぬい)(はく)》【写真6】は、かなり使用されていたとみえ、地の箔はほとんど失われるが、丸紋の中にある亀甲や草花の刺繍が美しい装束である。本装束も元々加賀藩前田家にあったといわれている。現在も地模様は異なるものの、丸紋に亀甲、丸紋に草花と、刺繍が同じ唐織(からおり)が前田家(成巽閣)(せいそんかく)に伝わることから、加賀藩前田家との関係がうかがえる。

 

【写真6】白地亀甲花丸散模様縫箔  
   所      蔵:江沼神社
   画像提供:国立能楽堂 

                白地亀甲花丸散模様縫箔

 

  ひとつひとつ所蔵者が異なる能面と能装束を挙げてみたが、これらをつなげていくと、「大聖寺藩前田家の能」のすがたが浮かび上がってくるのではないかと考えている。

 

(石川県立美術館 学芸専門員 村上尚子) 

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