13.加賀市の謡跡(2)
数多くある謡曲の中で、加賀市内を舞台とする謡曲には『実盛』と『敷地物狂』。それに舞台ではないが伝承地とされる『熊坂』もあるなど、市内は能楽との関わりが深い地域となっている。
『敷地物狂』と延昌僧正伝
謡曲『敷地物狂』は、『自家伝抄』に金春禅竹(※1)の作とし、また『看聞日記』永享4年(1432)3月15日条に見える、丹波の矢田猿楽(※2)が伏見御所で演じた『薦物狂』は本曲の古名であると推定されている。
物語の舞台は現在加賀市大聖寺敷地に鎮座する菅生石部神社。12歳の松若丸は、ある日置手紙を残して出奔してしまう。我が子を心配し、必死に探し回るうちに「狂女」となった母と、比叡山に登り高僧となった子とがそれぞれ故郷の洲河の里に向かい、敷地の宮(菅生石部神社)の境内で目出度く再会するという、感動的な物語である。なお、再会のきっかけとなったのは、母が持ち歩いていた薦であった。
現在、『敷地物狂』は上演されなくなった曲であるが、平成9年(1997)2月22日、大阪の大槻能楽堂で復曲上演(シテ 観世流 大槻文蔵)された。その後、加賀市の有志によって作られた能・敷地物狂実行委員会により、平成25年(2013)9月29日 菅生石部神社で里帰り公演が実現した。
この話のモデルとなったのが、地元出身とされる、平安時代中期の天台座主、僧正延昌である。朱雀・村上両天皇の仏道の師とされ、没後に慈念僧正の諡号を賜った。延昌の事蹟を基に様々な伝承が書かれているが、例えば文安3年(1446)以前に沙弥玄棟が著した仏教説話集『三国伝記』があり、この中に見られるような延昌伝を参考に、矢田猿楽または金春禅竹が創作したと推察される。
菅生石部神社
※1 金春禅竹
世阿弥の娘婿で、多くの謡曲を作った。
※2 丹波の矢田猿楽
丹波は今の京都府中部及び兵庫県東部。矢田猿楽は中世、京都府法勝寺や賀茂社などの祭礼をつとめた有力な猿楽座だった。
『熊坂』と義賊伝承
謡曲『熊坂』の主人公で、作中、加賀国出身とされる盗賊 熊坂長範一味は、奥州へ向かう途中の金売り吉次一行に襲いかかるが、同行していた牛若丸(源義経)に討たれてしまう。謡曲『熊坂』は、旅の僧侶の前に熊坂の幽霊が成仏を願って現れ、その時の様子を語る物語で、舞台を美濃国赤坂(岐阜県大垣市赤坂)としている。この熊坂長範像が時代と共に脚色され、江戸時代には歌舞伎・浄瑠璃・草双紙等において盗賊・義賊の代名詞として諸作品に登場することとなる。それ故に義賊長範伝承は全国的に流布し、各地に縁の地と称する場所が生じている。加賀市熊坂町もそうした場所の一つであり、他にも石川県境をはさんだ福井県や新潟・長野県境付近にも熊坂の地名が存在する。
昭和初期まで加賀市熊坂町吉岡には、熊坂長範が財宝を隠した場所を暗号のように記した石碑が存在したと言われているが、これらの事柄も熊坂の地名に関係づけられた伝承であると考えられる。
(能・敷地物狂実行委員会 会長 伊林永幸)
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更新日:2025年02月14日