14 千人謡〜コロナ禍を乗り越えて〜
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加賀市を「能のまち」にすべく、プロジェクトが進んでいます。藩政時代、加賀前田家が愛好したことから「加賀宝生」と称される程、能の文化が盛んだった石川県。その中で、支藩である大聖寺藩最後の藩主 前田利鬯は能の普及に努め、明治以降も金沢に次いで能の文化が残りました。つまりこのプロジェクトは、発進ではなく、復活なのです。
初めてこのプロジェクトに携わったのは2020年、日本が東京オリンピックを控え賑わっている頃でした。全国を巡る聖火リレー、石川県のスタートを、小学生千人による『高砂』の謡で見送るというとてつもないプロジェクトでした。一度の稽古をするのに、1日3校廻り、それでも3日〜4日かかります。まずは能の魅力、この土地で能に触れる意義を伝え、そして声を出して謡を謡う。子供達は初めはポカンとしていましたが、こちらが熱心に指導すればするほど、声が前へ出てくるのが伝わりました。
しかしながら、コロナという魔物が現れ、オリンピックは延期、そして延期された翌年も沿道で見送ることは叶わず、この企画は一旦打ち止めとなりました。私にとって、これほど悔やまれる結末はありません。しかし、この気持ちは主催である市も同じ。2023年10月、石川県で開催される国民文化祭の応援事業として、再挑戦することとなりました。
再び1校1校廻り、今回は『羽衣』の最後の部分を稽古しました。この年は9月まで真夏日が続き、空調の無い体育館で熱中症と闘いながらの稽古となりました。
千人謡の発表の仕方としてはいろんな案が出ましたが、私の一存で、プロの公演に“参加する“形で発表することとなりました。そして当日。加賀市文化会館に約千人の小学生が集まりました。能面や狂言、お囃子を体験した後に、いよいよ能『羽衣』が上演されます。三保の松原で天人の衣を拾った漁師は、これを国の宝にしようと天人に返すことを拒みますが、天人に諭され、ついに衣を返します。天人が衣をまとい再び登場し、天人の舞を見せると、そこで子供達が立ち上がります。子供達の謡によって見送られ、天人は空高く舞い上がり、霞に紛れて消えていきました。
能の謡を同吟(合唱)することは、本来多くても8名〜10名程。これだけの人数が一緒に謡うことは、今までの長い歴史の中でもおそらく無いことです。その迫力はまさに圧巻、そしていろんな思いが込み上げ、天人を演じた私は舞いながら感極まりました。コロナに打ち砕かれたこのプロジェクト、そして、授業での合唱禁止を経験した世代の子供達がこれを発表したことは、コロナを乗り越え明るい未来を発信できるものになったと思います。
「能のまち」と呼ばれる土地、それは決してプロの公演がたくさんあるということではなく、生活の中に能があるということです。まずは子供達の教育の中に、そして少しずつ、いろんな世代の方の生活に溶け込んでいってほしいと思います。
(宝生流能楽師 佐野弘宜)
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更新日:2025年03月17日